山内忠直・豊定の墓

高知県四万十市岩田の丘陵地に建てられている山内 忠直やまうちただなお公の墓石は高知県下で最大の五輪塔であるといわれています。

山内忠直・豊定の墓 高知県下で最大の五輪塔

土佐一条氏時代から長宗我部氏の統治を経て、1600(慶長5)年の「関ケ原の合戦」を機に、山内一豊(やまうちかずとよ)が遠江国(静岡県)掛川から土佐(高知県)の当主として入封してきます。

翌年から一豊は土佐の要所(中村、宿毛、佐川、窪川、本山、安芸)に分家、藩老の配置をはじめ、中村へは弟の康豊(やすとよ)を封じて支藩としました。

実質3万石の所領を要したのは断絶していた中村藩を再興した、土佐藩2代目であり中村藩初代藩主となった忠直の代からで、幡多地域のほぼ全域を治めていたとされています。

この時期から中村を山内氏が統治した時代、「三万石時代」がはじまります。

山内忠直・豊定の墓 五輪塔を別の角度から
住所 アクセス

土佐くろしお鉄道中村駅からは北に5kmほど国道441号線が走る四万十市岩田の西に位置しています。(青のお墓マーク)

レンタサイクルであれば市街地から約20分。五輪塔は小高い丘の上に位置しており、入口から10分ほど山道をのぼります。

基本情報

住所 〒787-1107 高知県四万十市岩田
電話 情報なし
拝観料 拝観自由
拝観時間 情報なし
山内忠直・豊定の生涯

・山内 忠直(やまうち ただなお)

幼名は虎之介または修理太夫。

1613(慶長18)年9月11日に土佐藩2代藩主の山内忠義と阿姫(松平定勝の娘)との間にニ男として高知で生まれます。

1630(寛永7)年に山内政豊の跡を次ぎ、断絶した藩を復興し中村藩初代当主として1656(明暦2)年7月には幡多八十八ヶ村の地3万石に加封されます。

忠直は中村で30年にもわたり名君とも謳われるほど善政を行い、庶民からも絶大な信頼を受けたといわれています。

1667(寛文7)年6月9日53歳で死去。「顕徳院殿」とおくりな中村大用寺山に葬られました。

・山内 豊定(やまうち とよさだ)

山内豊直ともいう。幼名は右近太夫。

1637(寛永14)年12月2日に山内忠直と水野忠清の娘との間に長男として江戸で生まれます。

1667(寛文7)年6月に父忠直の死去により中村藩主2代目として跡を継ぎ、弟の山内直久(豊明)に3千石を分封し2万7千石を領します。

従五位に叙せられ、父に負けず良い政治を行ったといわれています。1677(延宝5)年10月13日41歳で江戸にて死去。「慈徳院殿」とおくりな江戸の青松寺に葬られます。

見どころ

国道441号線上にあるJA後川ガソリンスタンドのすぐ横に、山内忠直・豊定公の墓の位置を示す道標石が建てられています。

山内忠直・豊定の墓 道標石

建物の影にひっそりと佇む2基の石燈籠。その先にみえる石段をのぼっていきます。

山内忠直・豊定 建物の影にひっそりと佇む2基の石燈籠

五輪塔までは石段と緩い坂が続き、周囲は竹が生い茂る山道。自然豊かな場所では、深呼吸をしながら歩くだけでも心がスッ楽になります。

山内忠直・豊定の墓 竹が生い茂る竹林の山道

上り始めて数分、草木の合間から望める美しい後川や広がる田畑の景観は日本の原風景を写し出します。

山内忠直・豊定の墓 美しい後川や安並の田畑を一望

途中下の写真のような分岐点がありますが、左側の道を進みましょう。ちょっとした山登りは、日頃の運動不足にも効果はありそうです。

山内忠直・豊定の墓 途中の分岐点

さらに数メートルほど進むと、ようやく右手に石段とその先に五輪塔らしきフォルムを確認。

山内忠直・豊定の墓 五輪塔らしきフォルム

上り始めて約10分。ようやく左右に石燈籠と2基の五輪塔が視界に入ります。

山内忠直・豊定の墓 左右に2基の五輪塔が視界に入る

向かって左側にある五輪塔は中村藩山内家2代当主、山内豊定やまうちとよさだ公の五輪塔となっています。

山内忠直・豊定の墓 山内豊定の五輪塔

五輪塔の高さは約2メートル、お墓にしては大きいです。

五輪塔の特徴は石の形が下から方形、円形、三角形、半月形、宝珠で形成されています。

山内豊定の五輪塔 、下から「地・水・火・風・空」の文字

また石にはそれぞれ「五大」と呼ばれ万物を構成する要素である5つの文字、下から「地・水・火・風・空」が刻まれています

仏教でいう塔(仏塔)と同じ意義を持ち、平安時代に密教と共に日本に広がっていったと考えられています。

さて、向かって右側の五輪塔が県の指定文化財になっている中村藩山内家初代当主である、山内忠直やまうちただなお公のものです。

山内忠直五輪塔①

五輪塔の高さは4.5m、花崗岩(かこうがん)で作られています。当時は、所領3万石にちなんで「三万石様」とも呼ばれ諸病祈願の参詣者が多く見受けられたようです。

山内忠直・豊定の墓012

脇には山内家の家紋である「土佐柏」が刻まれた手水鉢があります。土佐柏は「三菱マーク」の原型とされたことでも有名です。

山内忠直・豊定の墓011

中村藩2代目の山内豊定の子豊次は幼少で、3代目は豊定弟の直久(豊明)が継ぐことになります。

しかし直久(豊明)は役職を巡って5代将軍徳川綱吉の怒りを買い、中村藩3万石を没収され中村山内家は断絶してしまいます。

中村を治めたていた山内氏は、1689(元禄2)年に廃藩になるまで、中村城を居城とし、現在の中村拘置所のある場所(中村山内家土居跡・奉行所跡)に邸宅を構えていました。

1600(慶長5)年に山内康豊が中村へ入国してから3代直久(豊明)まで約90年余り統治した歴代当主も、やはり時代に翻弄され続けたリーダー達だったのかもしれません。

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