一條房基の墓
一條神社から西に300mほど進み中村病院がある脇の路地を入って、さらに50mほど直進すると左手にひっそりとたたずむのは土佐一条氏三代目の当主、一條房基の五輪塔です。
生涯
一条房基は土佐一条氏二代目当主の房冬と伏見宮玉姫との子として誕生。
享禄3年(1530)9歳で従五位下、享禄5年(1532年)に侍従(天皇のおそばに仕える役目の役人)右近衛中将に任じ、天文9(1540)年、従三位、非参議。翌天文10(1541)には阿波権守を兼官した。
天文10(1541)に房冬死後、家督を継ぐ。高岡郡の津野基高を破り、天文15(1546)年8月に津野氏を降伏させ、その勢いで大平氏の本拠地の蓮池城を奪った。
しかし天文16年(1547)には長岡群岡豊城主である長宗我部国親により、一条氏の大津城を攻めとられ国内の不安定な情勢が続く。
房基の妻の父は豊後(大分県)大友義鑑(大友宗麟の父)で、天文15年(1546)年以来、しばしば伊予(愛媛県)侵攻を応援して出兵したが、目的を果たすことができなかった。
そんな不穏な世情のうち房基は天文18年(1549年)、突如として自殺した。享年28。跡を嫡男の兼定が継いでいる。
住所および周辺の地図
住所 | 〒787-0029 高知県四万十市中村小姓町 |
中村病院の目の前にひっそりと供養墓があります。
地図上の緑の墓地マークが場所となってます。
「土佐の小京都」と称される、高知県四万十市(旧中村市)とその周辺を紹介したサイトです