一條神社と天神社
一條神社は高知県四万十市中村本町に鎮座する歴代土佐一条家をお祀りする神社です。
また境内には菅原道真を祀る天神社が鎮座し、毎年多くの人々が学業成就、合格祈願のご利益を預りに訪れています。
一條神社が鎮座する場所は四万十市中村中心部、小森山山頂の一条家御廟所跡地に建立されています。そのため今でも神社は土佐一条家の歴史、文化に触れることできる貴重な場所の1つとなっています。
中村城址のある為松山から望む小森山(黄色の矢印が一條神社)
■ 目次
行事 住所 アクセス
土佐くろしお鉄道の中村駅からは徒歩では20分程度。バスでは駅前から一条通方面行に乗り、一条通バス停で下車して一条通りを200mほど西に進むと前方に天神橋アーケードがありその手前右側に鳥居があります。
基本情報は以下
住所 | 〒787-0001 高知県四万十市中村本町1-3 |
電話 | 0880-35-2436 |
拝観料 | 参拝自由 |
拝観時間 | 特になし |
神紋 | 下り藤 |
祭神 | 若藤男命(一条兼良)若藤女命(同夫人) 一条教房と父の兼良を含めて土佐一条氏の歴代及びその一族の霊 |
祭事 | 11月23日-11月25日 一條大祭(地元では”いちじょこさん”として親しまれている) 全日本女郎ぐも相撲大会 8月第1土曜日 |
住所 | 同上 |
電話 | 同上 |
拝観料 | 同上 |
拝観時間 | 同上 |
ご利益 | 諸願成就、国造り、病気平癒 |
祭神 | 少彦名命(すくなびこなのみこと)、菅原道真 |
一條神社と天神社の由緒
1467(応仁元)年に起きた「応仁の乱」の戦火を逃れて土佐一条氏の初代当主の一条教房は、荒れ果てた京都を離れて、遠く離れた土佐(現・高知県)の幡多庄に移ります。
幡多中村の小森山山頂に元からあった愛宕神社を移して居館「一条家中村御所」を建てます。中村は京都の地形とよく似ていたため、教房は慣れしたしんだ京都の文化をこの地でも根付かせようとしました。
一条氏退転の後、天正年間(1573~1592年)に地域の人々の協力によって館跡に祠(ほこら)を建て歴代土佐一条氏の神霊と愛宕神社を合祀します。
その後、1862(文久2)年に「一條神社」として宮殿建立し、愛宕神社は境内で別に祠を建て摂社とします。1900(明治33)年県社に指定され、 1953(昭和28)年宗教法人を設立します。
一条氏の時代に京都の五条天神を天神山(現在の四万十市役所あたり)に勧請(分霊を祀る)したものと伝わっています。
土佐2代目藩主の山内忠義公が1641(寛永18)年の建立の棟札に「奉健立天満大自在天神一宇」と記されていることから祭神として菅原道真を祀っていることがわかります。
1953(昭和28)年に現在の一條神社境内へ移転します。
一條神社境内に鎮座する天神社
一條神社 の見どころ
土佐くろしお鉄道中村駅からゆっくり徒歩で約20分。にぎやかな天神橋商店街アーケードの入口に一條神社は鎮座しています。
一の鳥居は伊勢神宮と同じ直線的で額束のない神明鳥居です。真っすぐのびた参道の先には小森山へと上る石段が見えています。
一條神社の鳥居脇には大きな狛犬が佇んでいます。玉に乗っているこのタイプはあまり見かけない玉取りの狛犬と呼ばれています。
一の鳥居をくぐると参道脇には等間隔で並べられている春日燈籠です。周囲の空気が一変し神域に足を踏み入れたことを実感します。
一條神社が鎮座する小森山を囲んでいる周り数キロが中村御所であったとの説明書きも。
石段手前の向かって左手に「咲かずの藤」と呼ばれる場所があります。
土佐一条氏は邸内に藤見の館である藤遊亭を建て、家紋でもある藤をこよなく愛したと伝わっています。
土佐一条第4代当主兼定は、長宗我部氏に追われ館を離れる際「植え置きし 庭の藤が枝 心あらば 来ん春ばかり 咲くな匂うな」の歌を残して去ります。
この藤はその後300年間花をつけることはありませんでしたが、1861年(文久元年)にこの藤がみごとに咲き、これが一條神社建立の発端となったとも言われています。
石段を上った先には一條神社の拝殿です。入母屋造に向拝は曲線が美しい唐破風となっており、一条家ならではの優雅さと品格が感じられます。
拝殿の中は霊験あらたかな場所として、様々な神事が取り行われています。
拝殿の前には、一條神社境内に移された摂社の愛宕神社が鎮座していました。
祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)で承久の昔、土御門上皇遷幸の際に京都の愛宕社から勧請されたと伝わります。
境内の西には威風堂々とした天神社の拝殿。受験シーズンは地元の学生が多く祈願に訪れています。
石段の途中から左に入ると一条家の「御化粧の井戸」が残こされています。
一条家が使ったとされる7つの井戸のうち唯一現存しているもの。井戸の枠は、一枚岩をくりぬいたもので、一条家の権勢を物語っています。
公家の名門だった一条家が応仁の乱を期に京より下って106年、都より持ち込んだ文化や風習が根付き、4代兼定までを「土佐一条時代」として繁栄しました。
四万十市中村の地勢は京都に類似していることから、現在も「土佐の小京都」として知られています。
この一條神社を始め、町のあちこちで垣間見える雅な雰囲気は、一条氏の影響が色濃く残り、訪れる人々に癒しと安らぎを与えてくれます。
一條神社 の御朱印
境内西側に建てれている社務所にて、頂くことができます。一条家の家紋である下り藤が入ったユニークな御朱印となっています。
周辺のスポット
写真をクリックまたはタップすると詳細ページに移動します。
「土佐の小京都」と称される、高知県四万十市(旧中村市)とその周辺を紹介したサイトです