石見寺
石見寺は高知県四万十市安並に建てられている真言宗の寺院です。
土佐一条氏が中村を治めていた時代には、京都の比叡山延暦寺にみたてた鎮守寺でもありました。
■ 目次
行事 住所 アクセス
石見寺は中村市街地から国道439号線を北に進み、後川を背に北東に位置する石見寺山の中腹に位置しています。土佐くろしお鉄道中村駅から中村まちバスで15分程度。安並運動公園で下車。
基本情報
住所 | 〒787-0008 高知県四万十市安並4288 |
電話 | 0880-35-3033 |
拝観料 | 拝観自由 |
拝観時間 | 特になし |
宗派/山号・寺号 | 真言宗豊山派/浄瑠璃山東光院 |
創建 | 永徳年中(1381~1384年) |
開山 | 弘法大師 |
本尊・寺宝 | 薬師如来 |
石見寺の由緒
土佐(高知県)の歴史書「南路誌」には、永徳年中(1381~1384年)に「堂寺造立」と記され、古くは「四国八十八ヶ所霊場」の当代一であったとのことです。
土佐一条氏が中村を治めていた時代には、京都の比叡山延暦寺を見立てた鎮守寺(地域を守護する寺院)とも言われていました。
江戸期の1669(寛文9)年には、中村藩主山内氏の祈祷寺として五十石を寺領として与えられ、元禄年間(1688~1704年)には、末寺が37寺もあったと伝えられています。
1871(明治4)年に神仏分離によって廃寺になりますが、1894(明治27)年に高知県安芸郡川北村にあった長正寺を移し寺号を改称、1952(昭和27)年に宗教法人を設立し、現在に至っています。
石見寺 の見どころ
安並運動公園から四万十市民スポーツセンターへ続く脇道を抜けると下の写真のようにT字路に差し掛かります。
車の方は左へ、徒歩で境内まで行く方は右へ折れていきます。
車で左に折れると、ほどなくして参道への分岐があり、石見寺駐車場までの道が通っています。(一番右の道を進む)
徒歩の場合は、数分道沿いに進むと表札などが立っていないため少しわかりづらいですが、参道への入り口が見えてきます。(左の細い坂道を進む)
目を覆うようなうっそうとした竹林が生える、緩やかな坂道を上っていきます。
上り始めて10分ほどで右側に少しの石段とその先に山門が見えてきます。周囲の静謐な空気に乱れた呼吸も一気に整います。
石段を上り切れば、そこには石見寺の山門である薬医門があります。褐色系の山門には5色の仏教を象徴する旗(仏旗)と右には山号の「浄瑠璃山」の額がかけられています。
山門脇の石仏は、江戸期に弘法大師を厚く信仰していた中村の豪商、木戸文衛門の手により安政年間(1854~1859年)に建立されたと伝わっています。
正面には威風堂々たる本堂の佇まい。入母屋造本瓦葺きで向拝に唐破風をあしらった古刹ならでは風格をまとっています。
本堂の梁や蟇股に施された彫刻は、繊細で見るものを魅了します。
獅子が彫られた木鼻。
右手には真言宗の開祖である空海をお祀りする宝形造本瓦葺きの大師堂があります。お遍路では大師堂への参拝もならわしとなっています。
山門の脇には落ち着いた空間に佇む鐘楼。お寺にある鐘は「梵鐘(ぼんしょう)」ともいい梵鐘の音には「煩悩」を取り除き、悟りに至る功徳があるとも言われています。
境内からは後川を起点として放射線状に広がる美しい田畑、その先に四万十市街地が見えています。山の中腹からの眺望にしばし時を忘れて、1人静寂を愉しんでみてもよいですね。
石見寺山はハイキングコースとなっており、本堂のすぐ脇に山道が続いています。
そのままハイキングコースを進んで、石見寺山を登山しても良いでしょう。
桜の咲く春、紅葉の茂る秋がおススメです。陽が傾いた夕方は、ちょうど葉が光に照らされて幻想的な空間に一変します。
石見寺はその昔、四国八十八ケ所霊場第39番札所となっていましたが、城下に遍路が入るのを嫌い札所を返上したと伝えられています。
現在は新四国曼荼羅霊場第56番札所となっており、多くの人々が厳かな気持ちで参詣に訪れ、歴史と自然に触れながら祈りを捧げています。
「土佐の小京都」と称される、高知県四万十市(旧中村市)とその周辺を紹介したサイトです