不破八幡宮
高知県四万十市不破に鎮座する不破八幡宮(ふばはちまんぐう)は500年以上の歴史を有する由緒ある古社です。
幡多郡の総鎮守であり、一条家の守護神ととも伝わる神社で一条氏の他、長宗我部氏、中村山内氏と歴代城主からも厚い崇敬を受けています。
また本殿は高知県下で最も古い社殿であり、国の重要文化財に指定されています。
■ 目次
行事 住所 アクセス
土佐くろしお鉄道中村駅の改札を抜け南西方向へ。右山元町方面へ高架下を通るとまもなく最後の清流で有名な四万十川のほとりに出ます。
そのまま直進して川沿い下流へ向かうと左手に鳥居が見えてきます。徒歩で約20分程度、ちょうどよい時間と距離で散策に適しています。
基本情報
住所 | 〒787-0017 高知県四万十市不破1374-1 |
電話 | 0880-35-2839 (社務所) |
拝観料 | 参拝自由 |
拝観時間 | 情報なし |
祭神 | 品陀和気命(第15代 応神天皇) 玉依姫命 息長足姫命(神功皇后) 大山衹命(摂社の三島神)、 中筒男命(摂社の住吉神) 底筒男命(摂社の住吉神) 表筒男命(摂社の住吉神) |
神事 | 御輿洗い: 8月 不破八幡大祭 神様の結婚式:9月 |
不破八幡宮の由緒
文明年間(1469~1486年)に前の関白一条教房公が応仁の乱を避け、荘園経営のため京都から土佐中村へ下向します。
不破八幡宮 拝殿内部
創建の詳細年月は不明ですが、山城国(京都府)に鎮座する石清水八幡宮を当時の不破村に勧請(分霊を祀ること)したことにより始まったと伝わります。
一条氏歴代や長宗我部氏、中村藩山内氏と歴代土佐中村を治めた城主から篤く崇敬を受け、祭典も往時と変わらずとり行われています。
不破八幡大祭 流鏑馬
江戸期までは「正八幡宮」、「広幡八幡宮」と呼ばれていましたが、明治初年に不破八幡宮に改め、1871(明治5)年には社格が県社となりました。
1558(永禄元)年から2年かけて建てられた本殿は、室町時代末期の貴重な建築物として国の重要文化財に指定されています。
不破八幡宮の見どころ
鳥居は笠木の両端が反りあがった宇佐鳥居です。
石段を上ると、正面には威風堂々たる拝殿の佇まい。切妻造で向拝には唐破風、その上に千鳥破風を載せた古社ならではの風格が感じられます。
唐破風の美しい曲線の内側では繊細な彫刻が施されています。
拝殿内には36歌仙の額が掛かり、霊験あらたかな場所で京文化の一端をここでも垣間見ることができます。
境内の西側には、御神木であるクスノキがあります。樹齢は約550年とも言われ、創建当初の不破八幡宮をよく知る証人ともいえるでしょう。
本殿は三間社流造でこけら葺きの美しい勾配が目を引きます。室町時代末期の重要建築として、国の重要文化財に指定されています。
蟇股に彫られた彫刻の色彩が一層華やかな雰囲気を醸し出し、参詣に訪れた人々を魅了しています。
本殿の建築は一条康政氏(一条兼定の叔父?)により京都から招かれた宮大工の北代右衛門によって建てられたといわれています。
本殿の脇には摂社が2社鎮座しています。向かって右側は三島神社です。不破八幡宮が勧請される以前からこの地に祀られていた社です。
向かって左側は住吉神社です。三島神社同様に不破八幡宮が勧請される以前からこの地に住吉大明神として祀られてました。
毎年8月に行われる御輿洗いでは四万十川の水で男神御輿を清めます。
9月には対岸の一宮(いっく)神社から女神神輿が嫁ぐ全国的にもめずらしい不破八幡大祭、通称「神様の結婚式」が行われます。
祭りは前関白一条教房公が当時中村で横行した略奪婚を戒める目的で始まったとされています。
清流四万十川のほとりに鎮座する不破八幡宮は創建以来、一条氏歴代城主、長宗我部氏、中村山内氏と多くの大名から崇敬を受けてきました。
お祀りされるホンダワケ命(応神天皇)は「勝負の神さま」として必勝祈願、厄除けのご利益があるとして多くの人々が参拝に訪れています。
この機会に忙しい日常を少し忘れて、神さまとのご縁を深めてみてはいかがでしょうか。
不破八幡宮の御朱印
境内東側に社務所がありますので、御朱印を頂くことができます。鳥が2羽向き合う不破八幡宮の社紋が押してあるユニークな御朱印になっています。
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