太平寺
太平寺は高知県四万十市右山五月町に建つ禅寺です。
土佐一条氏3代当主、房基(ふさもと)は当寺院を非常時の避難所としたため、境内には堅牢な石垣が今も残されています。
寺宝の木造性公尼(しょうこうに)座像と覚雲(かくうん)座像は共に国の重要文化財にも指定されています。
■ 目次
行事 住所 アクセス
土佐くろしお鉄道「中村駅」の改札を抜け、県道346号線を渡って北西方向へ徒歩で約10分。
右山(うやま)地区に入って、太平寺通バス停を西に折れると寺号が刻まれた石柱板が建てられています。
基本情報
住所 | 〒787-0011 高知県四万十市右山元町1-4-27 |
電話 | 0880-34-5155 |
拝観料 | 無料 |
拝観時間 | 特になし |
山号・寺号 | 神護山福寿院 |
本尊 | 地蔵菩薩 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
太平寺の由緒
後村上天皇の治世、文和年間(1352~1356年)に境内に建てられていた桂珠庵の海峰性公尼が四国巡礼の僧、泉巌覚雲の助けによって伊予(現、愛媛県)にある照源寺(臨済宗)の大仙を迎えて開山。
室町期の天文年間(1533~1555年)に土佐一条氏3代の一条房基は太平寺を非常時の避難場所として重きを置き、境内の土塀に矢狭間(矢や鉄砲を撃つための穴)を設けます。
現在も境内の周囲は高さのある堅固な石垣や土塀に囲まれ、防衛拠点だったことが伺えます。
仙台藩(現、宮城県)藩主伊達政宗の願いによって伊達家の菩提寺である松島瑞巌寺(臨済宗)を再興した禅僧、雲居希応が修行した寺としても知られています。
太平寺 の見どころ
太平寺通バス停から寺院のある脇道へ入ると、周囲の喧騒が嘘のように静まり、厳かな雰囲気に包まれます。
木の葉が風に揺れる音を聞きながら、石段をのぼっていると乱れた心も整います。のぼりきった先には風花した趣のある山門。
江戸時代初期に建立された貴重な薬医門で、こちらは市の文化財に指定されています。
山門を入ってすぐ脇には、切妻造桟瓦葺きの鐘楼。
正面に建つ入母屋造本瓦葺きの本堂は堂々たる佇まいを見せ、右側には向唐破風造りの玄関がついています。
境内には宿毛市出身の自由党員竹内綱の撰文、大江卓(おおえたく)の書である「自由の碑」も建てられています。
1889年(明治22)の帝国憲法発布後、民権派と国権派が激しく対立していました。当時、太平寺下で起こった両党の乱闘騒ぎは死亡事故に発展し後に「右山事件」として歴史に刻まれました。
その犠牲者の霊を慰めるために境内に建てられた碑となっています。
あらためて中央の庭園に目をむけると、禅寺特有の侘びた庭園が広がります。境内に置かれた自然石や、木々からは不思議と禅の精神と世界観が感じられます。
市街地散策の際はこの悠久の歴史を刻んだ古刹で、深呼吸をしながら、ひとり瞑想にふけってみるのも良いかもしれません。
周辺のスポット
写真をクリックまたはタップすると詳細ページに移動します。
「土佐の小京都」と称される、高知県四万十市(旧中村市)とその周辺を紹介したサイトです