奥御前神社
奥御前神社は1221年(承久3年)の承久の乱で挙兵し敗れた後鳥羽天皇の子、土御門上皇(つちみかどじょうこう)仮の御所跡地に建てられた神社です。
為松山の麓四万十市丸の内に位置しており、周囲は民家や学校などがあり街の北側に鎮座しています。
御祭神は日本における代表的な水の神(水神)として知られる水波能売命(みづはのめのかみ)です。
田畑に関する豊水安全(折雨、止雨、治水)や安産、子宝、商売繁盛などのご利益があるとされています。
アクセス・基本情報
土佐くろしお鉄道中村駅からは徒歩約30分。市が運営している「中村まちバス」利用であれば、四万十市文化センターで下車して徒歩5分。
基本情報は以下
住所 | 〒787-0003 高知県四万十市中村字妙華寺谷 |
電話 | なし |
拝観料 | 参拝自由 |
拝観時間 | 特になし |
祭神 | 水波能売命 倉稲魂神(摂社) 大物主命(摂社) |
奥御前神社の由緒
1221(承久3)年に起きた「承久の乱」は、鎌倉幕府の執権北条義時に対して政権を朝廷に戻そうと、後鳥羽上皇が中心になって幕府打倒の兵をあげた兵乱です。
結果は朝廷側が大敗。乱後、幕府は後鳥羽、土御門、順徳の3上皇を配流にします。
その中で土御門上皇は幡多に流されています。(後に京都に近い阿波の国「現・徳島県」へ移っている)
「奥御前宮」は承久年間に、土御門上皇が幡多へ移られた際の仮の御所があった場所に、京都の貴船神社から勧請(分霊して地元に祀ること)されたものです。
拝殿の棟紋や手水鉢に天皇ゆかりの「菊花紋」であるのはその歴史的背景が関係していると伝わります。
江戸期には土佐中村藩主だった山内家からの崇敬も厚く、二度も再建が行われています。また奥御前宮は地域の守護神である産土神(うぶすながみ)としても、古くから庶民に親しまれてきました。
奥御前神社の見どころ
中村拘置支所と県立中村高等学校の脇を抜ける参道前に、社号と由緒が刻まれた案内板が見えてきます。
そのまま参道の緩い坂を上がると、鳥居が見えてきます。周囲は高い木々と草花が生い茂り、いかにも俗世を離れた神域らしい空気に一変します。
鳥居をくぐってさらに進むと、拝殿の前には1対の狛犬が鎮座しています。その姿は長い年月を経ても今なお漂う守護神としての風格が感じられます。
正面には切妻造銅板葺の拝殿。地域の人々も気軽に立ち寄り参拝されている様子をよく目にします。
拝殿のすぐ脇には「妙華寺若宮社」があります。
妙華寺(みょうかじ)は土佐一条氏の祖一条教房公の菩提寺としても知られていますが、土御門上皇が配流先として中村に入ってきたとき最初に滞在した場所とも言われています。
奥御前神社の北側には土佐一条氏の始祖一条教房公の五輪塔も残されています。
境内にある摂社は、稲荷神社(祭神:倉稲魂神)と金毘羅神社(祭神:大物主命)です。どちらもその佇まいから歴史の長さを推し量れます。
現地案内板によると北側の老杉は、大正町河内神社、十和村河内神社のものと共に3大神杉といわれていいるようです。
樹齢約400年とも伝わり、その木姿は古くからこの地域を見守り続けてきたことがわかります。
凛とした空気が立ち込める境内は、地域の人々の生活に神々が寄り添い、その息吹を今に伝えてくれる、そんな場所にもなっています。
是非近くを通った際は、気軽に立ち寄って日頃の感謝を込めて祈りを捧げてみてはいかがでしょうか。
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