玉姫の墓
玉姫は室町時代後期の皇族である伏見宮第5代当主伏見宮邦高親王の王女です。後に土佐一条家2代一条房冬夫人となります。
玉姫のお墓は四万十市の中村新町に五輪塔がひっそりと置かれ、市内散策では土佐一条家ゆかりの場所の1つとして多くの人々が訪れています。
住所 アクセス
土佐くろしお鉄道中村駅の改札を抜けて、県道439号線に沿って北西へ進み四万十市街地中心まで進みます。
中村新町地区の市立中村小学校向いに「玉姫さくら会館」が建ち、その入口に史跡案内板が立てられています。徒歩約22分。
基本情報
住所 | 〒787-0022 高知県四万十市中村新町3丁目 |
電話 | なし |
拝観料 | 拝観自由 |
拝観時間 | 情報特になし |
玉姫の生涯
玉姫は室町時代後期の皇族である伏見宮邦高親王の娘で、1521(大永元)年に降嫁(皇女や王女が皇族・王族以外の男性に嫁ぐこと)のため土佐に下向しました。
夫の一条房冬(土佐一条氏2代目当主)は1524(大永4)年より上洛し、公卿として京都にとどまり、1537(天文6)年帰国しているので、玉姫も同行したことと推測されます。
1540(天文10)年に房冬が没した後、玉姫は落飾(貴人が髪をそり落として仏門に入る事)し1547(天文16年)8月22日中村で没し「観喜院殿恵尊心信尼公」と諡して常照寺に葬られました。
玉姫が亡くなった22日に合わせて、毎月22日には市内の商店街のおかみさんで組織する玉姫の会がお墓参りを続けています。
見どころ
玉姫のお墓は四万十市立中村小学校の1本通りを挟んだ向かいにあり、入口には史跡案内板が立てられています。
入口を入って駐車場の先、右手に五輪塔があります。地域で作られた玉姫の会が定期的に掃除をされている為か、お墓は常にきれいな状態が保たれています。
この場所は江戸時代まで玉姫の菩提寺である常照寺が建てられていましたが、明治時代の廃物毀釈で廃寺となり現在は五輪塔が建つのみとなっています。
五輪塔の右奥には石に彫られた仏像が、ひっそりと佇んでいます。
奥には学童保育併用集会所として利用される、玉姫さくら会館が建っています。
周辺には「京町通り」や「一条通り」、東町や本町など京都にちなんだ名前が多く、碁盤の目の町並みから小京都の風情を感じる場所が多く残されています。
公家の名門である土佐一条家とそのゆかりのある人物に思いを馳せながら、数ある遺構を1つ1つ回ってみるのも中村散策の醍醐味となっています。
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「土佐の小京都」と称される、高知県四万十市(旧中村市)とその周辺を紹介したサイトです