幸徳秋水の墓
四万十市中村の中心地、中村山手通りに位置し、中村検察庁の裏にひっそりとたたずむ幸徳秋水のお墓。
多くの人にとって明治時代に起きた「大逆事件」は学生の頃に日本近代史で少しばかり触れた程度の知識でしょうか。
この場所を訪れると、断片的に残っている記憶をたぐって、そもそもどんな事件だったのか一部始終に興味が沸くのは皆さん同じではないでしょうか。
生涯
幸徳秋水、本名伝次郎は、1871年(明治4年)に中村の豪商俵屋に生まれ、幼少から秀才の誉れ高く土佐の自由民権の風土の中で成長し、16歳で上京します。
宿毛市出身の政治家 林有造の書生となりやがて高知市出身の思想家・政治家である中江兆民に師事。「萬朝報」を経て「平民新聞」で日露反戦をとなえるなど、記者、ジャーナリストとして活躍。
1911(明治44)年、明治天皇暗殺を企図したとされる大逆事件の首謀者として逮捕され、翌年1月、40歳で刑死。
2000(平成12)年、中村市議会(当時)は秋水の名誉を回復し、偉業を讃える「幸徳秋水を顕彰する決議」を前回一致で採択、現在も1月24日の命日には、この地で墓前祭が行われています。
幸徳秋水お墓へのアクセス
土佐くろしお鉄道 中村駅より後川に沿って北東方向に進んでいきます。 一條神社を過ぎ、天神橋アーケード街を抜け真っすぐ突き当りを右に曲がり中村検察庁脇の路地を入ると、裏手の墓地に幸徳秋水の墓があります。徒歩20分。
住所 | 〒787-0028 高知県四万十市中村山手通554-2 |
電話 | なし |
最初はわかりづらいですが、中村検察庁脇の電柱に案内板がかけてあります。
下の写真で左の路地を入っていきます。
「土佐の小京都」と称される、高知県四万十市(旧中村市)とその周辺を紹介したサイトです